大学を休学してまでスロットで稼ぐことを決めた僕ですが、普通の人からしたら異常なことだと思います。
友達に話しても「まじでー!?」みたいに言われることが多かったです。
そんな僕とスロットとの関係性をココでご紹介したいと思います。
「興味ねーわ😳」と言わずに見ていってください!
中学生、ゲームセンターで4号機
中学生になって友達と近所のゲーセンに通うようになりました。
初めは太鼓の達人やユビートなどの音ゲーをやっていたのですが、ゲーセンの奥の方にメダルゲームがあるということに気づきました。
そこでスロットをはじめて打ちました。
まずはスロットを打ってボーナスでメダルを増やしてから、競馬ゲームで遊ぶという流れがいつのまにか出来上がっていましたね。
当時ハマっていた機種
初代北斗の拳

バトルは熱くなれるし、出玉スピード半端ない。」
ラオウ昇天のときは友達みんなで集まって「スゲー!!」てなってました。
初代吉宗

711枚の1G連やばいっす。
ただ荒いのが怖くてあまり手を出さなかった記憶が。
エヴァ まごころを、君に

文句なく1番打ってました!
まごころ2は残念でしたね、、、
他にも初代銭形やシェイク2などを打っていました。
2010~2012年ごろでしたが4号機と5号機が混在していましたね。
ちなみにですが、中学1年生の頃は英語の「シェイク」が読めずに友達と「ショック打とうぜ!ショック!」と言っていました。笑
このころからどうやったらスロットで勝てるかを考えていたような気がします。
演出法則を覚えたり。「2チェだ、4チェだ」といったり。
高校生、いきつけのゲーセンが閉店
中学生のころはもう狂ったようにゲーセンに通っていてまさにスロざんまいだったのですが、

高校生になると行きつけだったゲーセンが閉店してしまいました。
そのため高校生の頃はスロットはほとんど打たず、たまーにゲーセンに寄ってチョロっと打つくらいになりました。
大学生、スロット熱が再燃し養分打ち
大学生になり時間に余裕ができ、また年齢的にもゲーセンではなくガチのホールで打てるようになったのでチョコチョコ「養分打ち」をしていました。
お金もないので5000円くらい飲まれてはヤメ、というのを繰り返してましたね。
このころはまさにTHE・養分でした。。。
そして大学2年生のとき、転機が訪れました。
その転機とは、、、
気胸になりバイトを1か月ほど休む
気胸になってしまい、バイトを休まざるを得なくなりました。
とはいえ、別に家から出ちゃダメってわけでもないし、「バイト行けない間もお金稼ぎてー!」と思い、お金を稼ぐ方法をググってみると。
「スロットでお金をかせげるだと!?」
ということに気づいてから、実際に稼げるようになるのには時間はかかりませんでした。
とりあえずメイン機種の狙い目をある程度頭に入れ、実践しながらやめ時なども把握していきました。

良く考えると、肺に穴が開いていたのにタバコまみれのパチンコ屋に行くのなんて我ながらバカですね笑
このように気胸が転機になりスロットで稼げるようになり、バイトもやめ大学も休学するに至りました。
気胸に感謝すべきなのか??
この記事を読んでいる皆さんは幸せ者です。
気胸になることなくスロットで勝つ方法を知ることができるのですから。
